スゴ本100: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (via yellowblog) (via blueskies-jp) (via ak47)
知財関連ネタだと、「必要は発明の母」だと思ってる人はこの本の下巻第13章を読むことを強くお勧めする。
まず、発明はどのようになされるかについて考えてみよう。これに対する一般的な答えは、「必要は発明の母」という格言で表現される。何らかの必要があるときに発明が生まれるという考え方である。既存の技術の限界が社会的に広く認識されると、新しい技術がもたらすであろう富や名声にかられて、誰かがその解決策を見つけだそうとする。その結果、既存の技術よりも優れたものが発明され、社会的価値観に合致し、他の技術とも両立するものでれば、それが社会によって取り入れられる、という考え方である。
……
……ところが実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作りだそうとして生みだされたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考えだされている。また、一般大衆が発明の必要性を実感できるのは、それがかなり長いあいだ使い込まれてからのことである。しかも、数ある発明のなかには、当初の目的とはまったく別の用途で使用されるようになったものもある。飛行機や自動車をはじめとする、近代の主要な発明の多くはこの手の発明である。内燃機関、電球、蓄音機、トランジスタ(半導体)。驚くべきことに、こうしたものは、発明された当時、どういう目的で使ったらいいかがよくわからなかった。つまり、多くの場合、「必要は発明の母」ではなく、「発明は必要の母」なのである。(『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』,2000, p51-52)
あの時、あの場所で、あの人が生まれていなかったら、人類史が大きく変っていたというような天才発明家は、これまで存在したことがない。功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け入れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。(『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』,2000, p56)
(via pdl2h) (via kml) (via nemoi) (via d-d-d) (via markie) (via ginzuna) (via saitamanodoruji) (via zenrahanra)
(via otsune)
(via hanemimi) (via appbank)